birdiebike’s 私と自転車の話題はタダ

年を取ったときに読み返すよう、自分専用備忘録。美しい老後のために悪口禁止。ネガティブ厳禁。

いまなんしゅうめ?

気持ち悪いのは不愉快だけど、
気持ち悪いのが止んだら不安、という最悪な日々。
安心できるまであと何ヶ月あるだろう?

神様からの罰なのか贈り物なのか、
わたしなんかが幸せもらっていいのか、
だからもらえるわけないのか、

不安定な感情に振り回される。
適度な仕事といつも以上の眠気がありがたい。

それにしても。。。
完全に諦めたときにくるって本当なんだな。
これにどんな科学的説明があるか知りたいところです。
不妊治療やめたら、とか養子もらったら、とか。


望んでる以上、意識しないなんて無理だと思ってた。
でも、、、
でもなんだかんだと飲み歩いてるうちに
完全に忘れほうける瞬間がやってきた。

そにうちむしろ、すっかり遠い日の夢と化して話題にしたりして
逆にこれから数十年暇なことを心配し始めたところだった。
これからも自分のことばかり考えて生きてくのかな。って。
本当にその矢先だった。

これを友人連中に話してみたいができない理由もあるので
だからここに書くだけで終わりにします。

今はただ、ポルコのこのセリフを早く言いたし。

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達人の記録

以下順不同。ダビデ氏の手練手管。悦ばせのやり口を
ほんの一例だけど残しておく。
私が認知症になった時のための備忘録として。

食事の準備の途中で先に飲ってろ、と台所から追い出してくれる。
ソファでテレビを見ているとおつまみセットを出してくれる、
お通しみたい。
酔って歌う事を許してくれる、下の通りにまで聞こえているのに。

敵は本能寺にあり、に興奮する私を見守ってくれる。
人間五十年を踊らない演出に怒る私もまた暖かく見守ってくれる。
金田一なのに髪が短い、と騒ぐ私を笑ってくれる。
元気で勝気で魅力的な女性主人公に私を重ねてくれる。
テイラースイフトに私を見てくれる。但し20代の頃の。


待ち合わせのスーパーでヤンキー呼びしてくれる。
ペットになった気分。
歩いてる途中、突然ヒキで眺めてくれる、感嘆のため息つきで。
店で食事中に急に親指を立てることもある。サムアップ!
コノミセデイチバンダゼ⁉︎

仕事の愚痴を聞くと、原因を取り去ろうとイラついてくれる。
無能上司やワガママな著者に対して。
ーーーー意地悪な報復案付き。採用した事ないけど。
俺にできる事はないか、と一瞬でも真剣に考えてくれる。


30代のからだを覚えていてくれる、
そしてそのイメージを40代のからだに補塡してくれる。

なんでこんなに気持ちいいんだと都度呆れてくれる、
朝シラフでイチャついた後に。








美しい50歳を祝して

美しい50歳

残念ながら私のことではありません。
どんなに諦めようとしても諦められず、
手放しても戻ってきてくれて
私と積極的に引き合ってしまうダーリン様のことです。

体型が変わらない事はもちろん、
私が25のときにうっとりしたその顔も、
芯はちゃんと残して
歳を重ねられていらっしゃる。私の大好物な皺だけ増やして!

それだけ私が安心させてあげていないのか、
はたまた別の理由で緊張感があるのかわかりませんが、
顔もからだももこんなに変わらないんだから
今後も「騙された」と感じる事は生涯ないのでしょう。

男性の最も美しい30代後半から40代を頂戴したわと
満腹なお腹をさすっていたところでしたが
さらに味の深まった50代が待ちうけているなんて
私はなんて贅沢で美味しいコースを選んでいるのかと思います。

そしてダーリンから選ばれたことに
人生で何かひとつは達成したなと。勝ち組気分が沸いてくるのです。

私はやり遂げたなと。

満足に足る相手との出会いに感謝の気持ちでいっぱいです。








自伝のような記録2 ダビデ像

大不倫の末一緒になったけれど、
彼はあまり恋愛体質な人ではない。
よく私とあんなに大恋愛できたな。素質はあるんだろう。
ただ、若い頃、厄介な女の子に好かれてしまい
身うごき取りにくくなった苦い思い出があって
「どうか俺を好きにならないでくれ」と念じる癖がついてるらしい。
私の金の粉とは真逆な発想。真のモテとはこういうことか?

顔もからだ(50を迎える今もダビデ像のよう)も大好きだが、
2人で話をするのは私の素晴らしい趣味になった。
知的に満足できる相手と暮らすと
毎日が修学旅行の夜(みたいに話が尽きない)と誰かが言ってた。
本当にその通りだと思う。

外食好きな私を諫めて、家にとどまらせるために
彼は料理を始めてくれた。
味噌汁にダシを入れることも知らなかったのに
今では1人で前菜から用意してくれる。
お気に入りの常連客のようにもてなしてくれるので
ワインバルのマスターといちゃつくごっこも可能な日々だ。
そんな夜を過ごすたびに
こんなに恵まれたオンナ、いまこの瞬間、
東京に何人いるかな、と思うのだった。

こんなにsmartでsexyでsweetな喋るダビデ像
お返しできるものがなにもない。
容姿もだいぶ衰えた。
私はミケランジェロの作品じゃない。


彼は私を喜ばせ、私は彼を困らせ、笑わせる。
私のギフトの方が一つ多いみたい。

自伝のような記録 1「金色の粉 」


20代後半はいつも3人くらいと定期的に会っていた。
付き合っていたというと語弊があるかもしれないけれど、
そこそこの優先順位を授けられ、そこそこな束縛モードは受けた。
モードに過ぎなかったのは、全員既婚者だったからだ。
おかげで3人回していけることができた。
体は大変だったけれど、この状況にバランスするよう
気持ちと脳の回転が最適化された気がする。
今も私のどこかにその時に調整した何かが
しっぽの跡のように残っているからだ。

3人目を捉えてしまったと報告した時、1人目から
もう金色の粉を振りまくな、と言われた頃が懐かしい。
今ではそんな粉、どこから出すのか、ひとふりできるものなら見てみたいものだけれど
粉を作っていた臓器がどこだったかはわかるような気がする。
動かすことは無理でも、ここにあるなと。使おうと思えば使えるのか、
当時のように脳の回転と連携するのか、錆びつきっぷりを確認するのも一興か。

テリーとアルバートさんを足して2で割ったような3人目は
控えめに言っても理想のオトコで、私の運命の人だった。
今一緒に住んでるのだ。夢は叶った。
やり抜いた自分を褒めてやりたいと
しみじみとする、その同じ脳みそが同時に、
ゆるゆると回転鈍くなっていくのもまた寂しく思うのだった。
あんなにクルクル回っていたのに、
必要なくなると、動かなくなるのものなのだな。

そして体は緩やかに太っていき、
私の気持ちは
退屈とはちがう方向に、でも似た曲線を描いて
持て余し気味に伸びてくる。

15年。

後に運命の人と思えるオトコを
当時自慢だった容姿とコミュニケーション能力で拿捕した3ヶ月後
ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだ。













だって東京でしか、会社でしか消耗したくないじゃない

働き方についていろんな議論がある。
私にもいろんな夢があった

働き方への興味は子供の頃からあって
背伸びしていろんな記事を読んだけど
今も当時とあまり変わっていない。ということは
あまり社会が進んでいないのか、
同じところをぐるぐるまわってしまう種類のテーマなのか、
はたまた一周しているのか?

夕暮れにベランダに向かってキーボードを叩いていると
なんかいいアイディアが浮かびそうだけれど
実際の私は会社のデスクでうんうん唸りながら
なんとか凌いでいて
いいこと思いついちゃった♪と思うときは
歩いてる時か、シャワーからあがった時か、
トイレでぼんやりしている時だったりしている。

好きな音楽を聞いていると、
嬉しかった瞬間とか思い出して浸ったりしちゃうから
隣の部署の電話がうるさいなぁなんて思いながら
高さの合わない会社の椅子でこそ
私は実際に働くんでしょう。

どうせ、仕事は消耗するもんなのだ。
だったら家以外がいいし、
会社以外の娯楽が多いところでがいい。

でもできれば、蛍光灯の下からは出たいかな。
あ、オリンピックのときはみんなで観たい。

働くことに対する私の夢はそれくらい。




ものを大事にしないのか、ものが勝手に変わっていくのか

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iPhoneを新しくしたら、家のblutootheスピーカーが使えなくなった。

仕方なく、⒊5mmケーブルをつないで使ってみる。
。。。とさらりと書いてみたが、
このケーブルだって奇跡的に放ったらかしておいたもので
いつもの私なら確実に捨てていた。
「何でも入れ」の箱を探ってみたら、運良く入っていただけ。
とっておいた意識はまったくない。

なぜつながらないのか、
ネットで検索しても正解にはたどり着けていない。
blutootheのバージョンが合わなくなったのではないかと想像する。
私はものを大事にしないとよく彼からは怒られるけど
久しぶりに使おうとして振られてしまうと、
邪険にもしたくなる。

今使っているこのキーボード(写真)も、
出張前、iPad用にと意気込んで買ったはいいが、
あまり使い勝手がよくないことと
音がうるさいことがネックになって
もはや仕事のお供に連れていっていない。
このままだと、確実にあの「何でも入れ」行きだ
。。。大きさ的に入らないけど。


音楽はAppleのサーバーに預けることになって(iTunes match)、
私が買ったものなのに、
そこからいちいちストリーミングすることになってしまった。
20年前、つまらないバイト先からの帰り道、
擦り切れるほど、、、というかCDの調子が悪くなるほど
聞きこんだアルバムは
いまや大きな「何でも入れ」CD版となっている
ワイン箱に放り込こまれて久しく
思い出に浸ろうとして掘りかえすのは
そのワイン箱ではなくてiPhoneで、
結果人様のサーバーから落として聞いているなんて
、、、なんか不思議!
CD本体を捨てられずにいるのは
Appleが信じられないのもあるけれど(バックアップ用ね)、
何より大事な思い出だからでもあり。

今日の教訓は、
「何でも入れ」は大事にすべし。